STORY 2

夫が採ったムカゴのサラダ

 人がいつのまにか触ってしまっているものは、いろいろある。その最たるはスマホだ。なのにうっかりすべり落としそうな、どこか緊張を強いる危うげな質感なのは、いったいなぜなのだろう。もしやカバーを買わせるため?壊してまた買わせるため?まさか。そのまさかがあり得るのが、この世ののっぴきならないところだ。

 対してここにあるものは、どれもおしなべて触り心地がよかった。器に、箸に、そしてなんといっても木のテーブル。あえて削りあとを残すデコボコとした質感を確かめるかのように、みんなそれとなくナデナデしている。そんなあまたの人々の“無意識ナデナデ”の集積によって、天板の木肌はさもこうごうしく艶めいている。

 初対面の人と打ち解ける、とっかかりとして“あるある”なのが「どこに住んでいるか」だ。この場でもかんたんな自己紹介の際、名前とともに言いあうことになった。

 ただこの質問だけでは、均一な回答を得られることはほぼない。

 都道府県名で答える人も、街の名で答える人も、また「歩いて10分ほど」と所要時間で答える人もいる。ワールドワイドな人たちが集まる場であれば、国名で答えることもあるだろう。実は「どこ」という言葉は、限りなく曖昧だ。

 ここに集う人たちは、たまさか地方に住んでいる人が多かった。愛媛県内子町(と彼らはなぜか町名まで言った)から来たという夫婦ふたり、神戸からのひとり、大阪からのひとり、東京からのふたり、福岡と東京を往来しているひとり、また二週間前に神戸から東京に引越してきたというひとりと、見事にてんでバラバラだった。そんな彼らがみな、今は料理家のごはんを食べるために、ここ東京の杉並に集まってきていた。そしてともすれば、いやほぼ間違いなく、このメンバーが再集合することはもうないだろう。バラバラなところから来て、ひとときの食を囲み、またバラバラなところへと帰っていく。その事実に、なぜか救われた気分になった。

 何かの流れでいつの間にか「サンタクロースがいないことをいつ知ったか」 ‎という話になった。これも想像以上にバラバラで、どれもびっくりするほど面白かった。

 ある人は「サンタのような外人がうちになんか来るわけがない」とハナから信じず、なのにイブの夜にふと目が覚めてしまい「今、親がプレゼント持って来たらきたらどうしよう」と、ひたすら寝てるふりをしたという微笑ましい?エピソード。

 また別の人は逆に、小学6年の時に母親から直接プレゼントを渡され「そういうことだから」とひとこと言い放たれたという、なんとも切ないエピソード。

 さらにクリスマスプレゼントと思われる自転車が、家の倉庫に隠されているのを発見して気づく、というパターンもあった。さすがにまだ子どもだった本人も、サンタからの「期日前配達」だとは思わなかった。

 そんなことを話している間に、次の料理がやってきた。

 「ふた皿めも、自然に集まってきた素材でサラダを作りました。天然のマイタケが入ってきたのでそれを焼いたものや、にんじんをピクルスにしたもの、あとは夫が採ったムカゴもが入ってます」

 そう、料理家は夫婦で岡山の蒜山という地域と二拠点で暮らしていた。きっとだからなのだろうけれど「夫が採ったムカゴ」という言葉はなんだか新鮮で、やけに心に響いた。

「蒜山と言えば私、そこの山に登りに行きましたよ」と、ひとりがやにわに言った。彼女は登山が趣味で、ほうぼうの山に行くのだという。

「山にいると、自分が生物なんだって感じがします。遊園地に行ったらアトラクションに乗るか、売られてるごはん食べるか、とかしかないじゃないですか。それも楽しいんですけど、山は何も規制されてない。だから自由を感じるし、不確かなままでも受け入れられる。だから好きなんだと思います」

そこに、ひとりが返した。

「山も、海もそうですけど、僕は怖いです。たぶんじいちゃんとかが『山は神様』と言ってたからってのもあるし、こんまい時に山で遊びに行って、暗くなって帰れんくなったりしたこともあったから」

さらに、そこに返す。

「確かに危ない目にあうこともあって、ほぼ遭難かな?という経験も何回かあるんですけど、その瞬間も自由!って思います」

 人はいろいろな経験を積もらせながら、自分だけの物語をつのらせていく。覆い被さる常識という名のマントを交わし、誰かに決められず自由に進んでいく権利がある。

山は自由と生物を感じる場所であり、恐怖を感じる場所であり、ムカゴを採るための場所でもある。

それは確かなこと。