安斎さんのりんごで作ったタルトタタン
どうして、こんなにもおいしいのだろう。
スープにサラダ、そしてメインまで食べ終え、あらためてそれを考えている。そりゃプロの料理家が作ってるからでしょ、と言えばそれまでなのだけど、この日提供されたメニューから、一流レストランのようなわかりやすい「技巧を凝らしたひと品」という風をあまり……どころかまるで吹かせていない。
作っている本人たちは「集まってくる素材から、こうなりました」というふうなことを、たびたび口にする。それは言い換えれば「ほとんど自分たちは、何もしてないんです」ともとれるニュアンスで、きっとそんなわけはないのだけれど、その口ぶりは、単なる謙遜でもなさそうだった。
つまるところ、おいしさはいかに「いい素材で作るか」にかかっている。じゃあ彼らのもとにはなぜ「いい素材」が集まってくるのだろう。というか「いい素材」って、そもそも何?などと掘り下げていくと、ズブズブと深い思考の沼にハマっていくようだった。
そんな間もここに集う人たちは、さきほど食べた天津飯が忘れられないようで「黒酢あんがなんだかフルーティーだった」「少し山椒の香りもしたね」などと反芻しつつ、やがて「どうして卵料理って、こんなにホッとするようなおいしさなんだろう」という話題に移った。
「卵が黄色いってことも関係してるのかも」
「それで言うと、こんなことがあって」
と、カメラマンを生業にしているひとりが、料理雑誌で卵のおかずを撮影した時のエピソードを教えてくれた。
「用意した卵がけっこういい卵だったんだけど、黄身が白っぽいからか、撮ってみるといまいちで」結局、コンビニで買ってきた卵で作ってみると、まわりから「おいしそう!」という声が上がったという。
それはいわば、鶏のエサにパプリカ色素を混ぜることで「おいしそうに見せている」だけなのだけど「じゃあ本当のおいしさって?」「どう見分ければいいの?」などと言いあっていると、ひとりがポロリと「ザラザラがないんだって」とつぶやいた。
「養鶏所をやっている人が言ってたのは、卵の殻がツルツルしてるほうが、鶏がストレスなく、いい育ち方をしてるんだって」
しかし、こうも付け加えた。
「それから買ってきた卵がザラザラだと『あぁ、これを産んだ鶏はストレスいっぱいなんだなぁ』とか思っちゃって。じゃあザラザラだったらおいしくないのかというと、正直よく分からない。知ってしまったから、先入観でそう思っているだけかもしれなくて」
今の時代、人はあまりにも「情報」というロープに縛りつけられている。どこで、誰が、どんなふうに作ったか。本来、おいしいものを選ぶために知っておきたい手がかりのはずなのに、それさえもどこか窮屈に感じ、距離をおきたくなってしまう。
よりシンプルで、わかりやすいおいしさって?それを追い求めると、結局は「自分で作ること」にたどりつく。それはみんな共通した思いのようで、ほうぼうからぞくぞくとアイデアとエピソードが出てきた。
「実家が島根の出雲のあたりで、よく『あまがゆ』を作ってました。もち米を炊いて、そこに麹を入れて発酵させる。ちょっと甘酒に似てるんですけど、それよりも少し米の粒感が残ってる感じで。みんな朝ごはんとかにけっこう食べてますね」
「朝ごはんといえば、ベーコン。だいたい一気に3本くらい作って、月に1本ぐらいのペースで食べるので、最後の1本を食べ始めたら、もう次のを仕込んでる。これがないと困るというぐらい。あとは栗かな。借りている畑に栗の木があって、バケツに何杯も採れちゃうから、ひたすらゆでてスプーンで取り出して、ペースト状にして食べてる」
「うちは母が栗の渋皮煮を作るのがすごく上手で、それを食べて育ったので、大人になって時間ができた時に自分でもやってみたいと、4年連続で作っていたことがあります。皮をむくのは手間だけど、せっせと作ってましたね」
「栗、いいなぁ。私は去年、柿を農家さんからいただいたんですけど、干したらすごくおいしくできて。今年は張り切って、100個取り寄せて吊るしてるんです」
「果物だと、レモンのシーズンになるとシロップを作るかな。梅酒のレモンバージョンのようなお酒も作る。ときどき揺すってみて、香りを嗅いで『もうちょっとかな?』と確認するのも楽しいし、自分で作ると、どうやってできるのかがわかってくるのも楽しい」
これら季節の手仕事といえば、とかく「ていねいな暮らし」の代表のようで「時間とお金の余裕がないとやれない」「女性が家事を完璧にこなすべきというプレッシャーを感じる」といった社会的なバイアスを伴いがち、だけれども。
本来のよいところは、自分たちが食べているものが、どうやってできているかがわかること。身近に感じることが、今この時代を生き抜く知恵なのかもしれない。
そう話しているうちにお待ちかね、コースの最後となるデザートがやってきた。タルトタタンだ。料理家は、うれしそうな微笑みをたたえながらこう語った。
「りんごは、実はここであさって料理を作ってくださる『たべると暮らしの研究所』の安斎さんが育てたものなんです。非常にみずみずしい紅玉だったので、レシピ上は少しレモン汁を足すんですけど、今回はほとんど使いませんでした。
作り方についてもこのように教えてくれた。「一般的なタルトタタンは、まずりんごを煮てキャラメリゼさせるんですけど、あえて今回はりんごを生のまま焼き込みました。すると焦げたところと焦げてないところができて、キャラメルが効いているところもあれば、生のりんごの爽やかさを感じるところも出てくる。結果として、ひとつのピースとしてのリズムが生まれて、食べ飽きないように仕上げました」
どうして、こんなにもおいしいのだろう。
その謎が、ようやく解けた気がした。きっとそれは「料理の腕がいい」だけでも「素材がいい」だけでもない。それは自分と心の近い、信じられる人たちが作った「いい素材」のチャームを細やかに感じとることから。そこに自分の培ってきた知識や技を引きあわせ、じっくりと対話するように料理する。
そうすることで「おいしい」の魔法がかかるのだと。

